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夢野カブの歴史 第1章


   1971年

1971年
いつもの夫婦喧嘩勃発とおもいきや出ていったおふくろ2度と帰還せず、『うそじゃろ!』と思いながら、 大人の世界を垣間見る(見た気になっていただけだな)
それからいろいろ親同志ではあったみたいだが 転校したくないと云う理由のみで親父とふたりで暮らすことになる。 それまでは断然母親と過ごす時間が多い訳だから、最初は男同志なんとなくきまずい朝『おはよう700』 を毎朝見ながら口数の少ない朝食をとっていた。が、親父はとっても根が明るくひょうきんかつ小柄だが 腕っぷしの強い人だったので、まもなくおもしろおかしく毎日を過ごす事となった。

【親父は副音ハーモニカがとても上手で、僕が友達を家に連れてくると、いつも‘聖者の行進’ を吹きながら僕らが遊んでる部屋に現れた。少々恥ずかしかったが、その後、みんなを連れて必ず おこのみ焼屋に行き、たらふく食わしてくれたりするので(親父なりに気を使ってたんだろうが) 友達には評判がよかった】

そのうち親父の田舎から、ばあちゃんがやって来て小学校あがるまではいろいろと面倒をみてくれることになる。

同年、わりと家に近かった親戚の兄ちゃん(当時中学3年)の家に遊びに行ったある日、 にいちゃんがフォークギターで歌ってるのを見て聞いて、これまたえらい衝撃を受ける。 歌っていたのは、吉田拓郎の『春だったね』だった。

にいちゃんの歌は決してうまくなかったと思うが、原曲を聴いてさらにびっくりした。
にいちゃんとそんなに歌のうまさがかわらなかったからだ!
でもその善し悪しは別としてそれまで(小学校3年生だった)僕の体の中に在った真理ちゃんやめぐみちゃんの 甘い歌声が何処かへぶっとんでしまった。まさしく体内にはない初めて音楽だった。
そしてその後よくこの兄ちゃんの家に通いづめることになる。

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